称 号 |
山号 慈愍山(じみんざん)
寺号 観音寺(かんのんじ)
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宗 旨 |
曹洞宗(禅宗)、「そうとうしゅう」と読みます
ご本山は福井県の永平寺と横浜市鶴見の総持寺です
詳しくは曹洞宗のホームページをご覧下さい。
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所 在 |
千葉県我孫子市日秀90番地(あびこしひびり)
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本 尊 |
釈迦牟尼仏
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創 立 |
不詳
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開 基 |
長安定久禅定門
(ちょうあんじょうきゅうぜんじょうもん)
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「日秀」の漢字のみで「ひびり」と読みます。初めての人はほぼ読めませんね。
「ひびり」の地名についてはハッキリした謂れは現在もわかりません。歴史的には古くは将門が手賀沼よりこの台地に上り朝日を拝したことに由来し「日出村」(ひいで)と称したと伝えられています。
現存する資料は、
- 寛文12年(1672)の上新木青年館庚申塔に「日秀村」の記載がみられること。(写真)
- 元禄5年(1692)新木村から分村したとき、日秀村としたという記述(湖北村誌)。
- 元禄15年(1702)将門神社境内水神祠に日出村の記載があること。
- 『観音寺観世音菩薩縁起』(原本所在不明)には「日秀弾正佐友治」(日出弾正佐友治)という人物がこの地に留まり守護したことから「日秀」としたとされている記述。
など諸説ありますが、各説のなかでも「日秀」と「日出」が混在しています。
このように「日出」と「日秀」の文字の変化、「ひびり」の読みについては不明な点が今なお多くあります。読み方、称え方として「ひので」が「ひいで」となり「ひーで」と発音し「秀」を宛てたのでしょうか。
最近思うにこの地が元は新木に含まれていたことからすれば、方向的に日没の見える地、「日入」(ひいり)、村の中心からみれば「地域の終わり」「へり」が「びり」に、端っこの意味「尻」(しり)が「びり」に、日が落ちる縁=「ひべり」が変化したのかと考えられないかと思っています。今なお謎です。
※我孫子には難読難解な地名が多くあります。「我孫子」も「あびこ」とはなかなか読めないでしょう。「久寺家」(くじけ)、「高野山」(こうのやま)「岡発戸」(おかほっと)「下ヶ戸」(さげと)、「都部」(いちぶ)、「中峠」(なかびょう)、「江蔵地」(えぞうち)など、小字を含むと更に存在します。市内の地名については「我孫子市史研究生センター」で緻密に調査研究されています。
観音寺のご本尊様は本堂にお祀りする「お釈迦様」ですが、国道沿いの大きな屋根のお堂は観音堂で、「聖観世音菩薩」(観音さま)をお祀りしています。この観音さまは平将門の守本尊と伝えられ信仰されています。謂れについては「下総国相馬郡日出村観世音菩薩縁起」があり、それによれば行基菩薩の作と記されています。全体の読み下し、訳文をご紹介します。どちらも住職の独断ですので誤りがあるかもしれません。ご教示をお願いします。
縁起書はこちらをクリック。